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横浜地方裁判所 昭和44年(ワ)2050号 判決 1978年10月25日

原告 守屋栄 ほか八名

被告 国

訴訟代理人 渡辺等 吉田克己 木暮栄一 白井文彦 星野明一 ほか六名

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告ら(請求の趣旨)

1(一)  原告守屋栄が別紙目録(一)記載の各土地(以下「本件(一)の各土地」という)につき、

(二)  原告鎌田孝太郎が別紙目録(二)記載の各土地(以下「本件(二)の各土地」という)につき、

(三)  原告名和アサが別紙目録(三)記載の土地(以下「本件(三)の士地」という)につき、

(四)  原告川口辰彦が別紙目録(四)記載の土地(以下「本件(四)の土地」という)につき、

(五)  原告平本政美が別紙目緑(五)記載の土地(以下「本件(五)の土地」という)につき、

(六)  原告守屋伴男が別紙目録(六)記載の土地(以下「本件(六)の土地」という)につき、

(七)  原告石黒ツヤが別紙目録(七)記載の各土地(以下「本件(七)の各土地」という)につき、

(八)  原告平本兼次が別紙目録(八)記載の各土地(以下「本件(八)の各土地」という)につき、

(九)  原告倉沢尚司が別紙目録(九)記載の土地(以下「本件(九)の土地」という)につき、

それぞれ所有権を有することを確認する。

2  被告は、

(一) 原告鎌田のために別紙目録(二)(2)記載の土地(以下「本件(二)(2)の土地」という)上にあるアンテナポール(無記号)一本を、

(二) 原告川口のために本件(四)の土地上にある「芥を捨てるべからず 日本政府」と記載してある立札一枚を、

(三) 原告守屋伴男のために本件(六)の土地上にあるアンテナポール(TMC二三九五二)一本を、

(四) 原告石黒のために別紙目録(七)(2)記載の土地(以下「本件(七)(2)の土地」という)上にあるアンテナポール(CASOADE六五)一本を、

(五) 原告平本兼次のために別紙目録(八)(2)記載の土地(以下「本件(八)(2)の土地」という)上にある「米軍施設 在日米軍 無断立入は日本の法律により罰せられる」と記載してある立札一枚を、

いずれも撤去せよ。

3  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに2項につき仮執行の宣言。

二  被告(請求の趣旨に対する答弁)

1  主文同旨の判決。

2  (仮に原告らの請求を認容し仮執行の宣言を付するときは)

担保を条件とする仮執行免脱の宣言。

第二当事者の主張

一  原告ら(請求原因)

1(一)  原告守屋栄は、大正一五年四月二六日家督相続により本件(一)の各土地の所有権を取得した。

(二)(1)  本件(二)の各土地はもと訴外鎌田登一の所有であつた。

(2) 原告鎌田は、昭和四一年二月四日相続により鎌田登一の権利義務を単独承継した。

(三)(1)  本件(三)の土地はもと訴外相原美代吉の所有であつた。

(2) 原告名和は、昭和三五年二月八日相原美代吉から本件目の土地を買受けてその所有権を取得した。

(四)(1)  本件(四)の土地はもと相原美代吉の所有であつた。

(2)(イ) 訴外相原昌訓は、取得時効により右土地の所有権を取得した。すなわち、同人は、昭和二五年五月一〇日所有の意思をもつて平穏かつ公然に右土地の占有を始め、それから一〇年を経過した昭和三五年五月一〇日にもその占有をしていたが、右占有の始め善意にして無過失であつた。

(ロ) 仮に右主張が認められないとしても、

相原昌訓は、相続により相原美代吉の権利義務を単独承継した。

(3) 承継前原告川口三省は、昭和四四年九月一一日相原昌訓から右土地を買受けてその所有権を取得した。

(4) 原告川口は、昭和四九年一一月二七日相続により川口三省の権利義務を単独承継した。

(五)(1)  本件(五)の土地はもと訴外平本七郎の所有であつた。

(2) 原告平本政美は、昭和二五年二月四日相続により平本七郎の権利義務を単独承継した。

(六)(1)  本件(六)の土地はもと承継前原告守屋房吉の所有であつた。

(2) 原告守屋伴男は、昭和五〇年八月一九日相続により守屋房吉の権利義務を単独承継した。

(七)(1)  本件(七)の各土地はもと訴外川口製糸株式会社(以下「訴外会社」という)の所有であつた。

(2) 原告石黒は、昭和四〇年四月一五日訴外会社から右土地を買受けてその所有権を取得した。

(八)  原告平本兼次は、大正九年七月七日家督相続により本件内の各土地の所有権を取得した。

(九)(1)  本件(九)の土地はもと原告平本兼次の所有であつた。

(2) 原告倉沢は、昭和三七年五月一九日原告平本兼次から右土地を買受けてその所有権を取得した。

2  被告は、本件(四)の土地上に「芥を捨てるべからず日本政府」と記載した立札一枚を所有している。

3(一)  被告は、本件(二)(2)の土地上にアンテナポール(無記号)一本を、本件(六)の土地上にアンテナポール(TMC二三九五二)一本を、本件(七)(2)の土地上にアンテナポール(CASOADE六五)一本を、本件(八)(2)の土地上に「米軍施設 在日米軍 無断立入は日本の法律により罰せられる」と記載した立札一枚をそれぞれ所有している。

(二)  仮に右各アンテナポールおよび立札がアメリカ合衆国軍の所有であるとしても、被告にはそれを撤去すべき義務がある。すなわち、日本国とアメリカ合衆国との問の相互協力及び安全保障条約第六条に基づく施設及び区域並びに日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定一八条によれば、公務執行中の合衆国軍隊の構成員若しくは被用者の作為若しくは不作為……で、日本国において日本国政府以外の第三者に損害を与えたものから、生ずる請求権……は、日本国が処理するものとされ、その請求は日本国の自衛隊の行動から、生ずる請求権に関する日本の法律に従つて、……裁判するものであり、日本国は前記のいかなる請求をも解決できるものとされているところ、右アンテナポールなどがアメリカ合衆国軍の所有であるとすれば、それは合衆国軍隊の構成員が公務執行中に、日本国において日本政府以外の第三者に損害を与えたものと考えられるから、被告は、右アンテナポールなどの撤去請求について解決する能力を有し、従つてその撤去義務があるものといわねばならない。

4  被告は、本件(一)ないし(九)の各土地(以下「本件係争地」という)につき各原告の所有権を争つている。

5  よつて、被告に対し、各原告は、本件(一)ないし(九)の各土地(本件係争地)が各原告の所有であることの確認と、所有権に基づく妨害排除請求権により、原告鎌田は請求の趣旨2項(一)記載のアンテナポール一本の、原告川口は同(二)記載の立札一枚の、原告守屋伴男は同(三)記載のアンテナポール一本の、原告石黒は同(四)記載のアンテナポール一本の、原告平本兼次は同(五)記載の立札一枚の各撤去とを求める。

二  被告(請求原因に対する認否)

1  請求原因1(一)の事実は認める。

同(二)の事実のうち、(1)は認め、(2)は不知。

同(三)の事実のうち、(1)は認め、(2)は否認する。

同(四)の事実のうち、(1)は認め、(2)(イ)、(3)は否認し、(2)(ロ)、(4)は不知。

同(五)の事実のうち、(1)は認め、(2)は不知。

同(六)の事実のうち、(1)は認め、(2)は不知。

同(七)の事実のうち、(1)は認め、(2)は否認する。

同(八)の事実は認める。

同(九)の事実のうち、(1)は認め、(2)は否認する。

2  同2の事実は認める。

3  同3(一)の事実のうち、原告ら主張の各アンテナポールおよび立札が原告ら主張の土地上に存在していることは認めるが、その余の事実は否認する。右アンテナポールおよび立札はアメリカ合衆国軍の所有に属するものである。

同(二)の主張は争う。

4  同4の主張は認める。

三  被告(抗弁)

1  (請求原因1(三)(2)、(四)(3)、(七)(2)、(九)(2)に対し)

請求原因1(三)(2)、(四)(3)、(七)(2)、(九)(2)の各売買契約は、各売主と各買主とが通謀のうえ、本件(三)、(四)、(七)、(九)の各土地に対する被告の所有権取得の主張を妨害するため各買主に売渡したように仮装したものである。

2  (請求原因1(三)(2)、(四)(3)、(七)(2)、(九)(2)に対し)

請求原因1(三)(2)、(四)(3)、(七)(2)、(九)(2)の各売買契約の当時、本件(三)、(四)、(七)、(九)の各土地は現況が農地法上の農地であつたから、右売買契約は効力を生じないものである。

3  (請求原因1に対し)

被告(海軍省)は、昭和一八年一一月二四日、原告守屋栄から本件(一)の各土地を、鎌田登一から本件(二)の各土地を、相原美代吉から本件(三)、(四)の各土地を、平本七郎から本件(五)の土地を、守屋房吉から本件(六)の土地を、訴外会社から本件(七)の各土地を、原告平本兼次から本件(八)、(九)の各土地をそれぞれ買受けてその所有権を取得した。

4  (請求原因1に対し)

被告は、次のとおり取得時効により本件係争地の所有権を取得したので、本訴において右時効を援用する。

(一) 被告は、昭和一八年一一月二四日、所有の意思をもつて平穏かつ公然に本件係争地の占有を始め、それから二〇年を経過した昭和三八年一一月二四日にもその占有をしていた。

原告ら主張の後記四2(一)の事実のうち、本件係争地が連合国軍によつて昭和二〇年八月二〇日頃接収され、昭和二二年一〇月一六日右接収が解除されたが、昭和二六年三月一五日再び接収され、その状況が対日平和条約が発効した昭和二七年四月二八日まで継続していたことは認めるが、その余は否認する。

(二) 仮に(一)の主張が認められないとしても、

被告は、昭和二七年四月二八日(対日平和条約発効の日)所有の意思をもつて平穏かつ公然に本件係争地の占有を始め、それから一〇年を経過した昭和三七年四月二八日にもその占有をしていたが、前記3のとおり、既に本件係争地の売買契約が成立していたものであるから、右占有の始め右土地の所有権が自己に属すると信じ、かつ、そう信ずるについて過失がなかつた。

四  原告ら(抗弁に対する認否)

1  抗弁1ないし3の各事実は否認する。

2(一)  同4(一)の事実は否認する。

仮に本件係争地について売買契約が成立したとしても、それは昭和一九年四月一日であるから、被告は、それ以前は所有の意思がなかつたものである。また、本件係争地は、太平洋戦争終結後間もなく連合国軍に接収され、一旦接収が解除されたものの昭和二六年三月一五日に再び接収され、その状態が対日平和条約が発効した昭和二七年四月二八日まで継続していたものであるところ、連合国軍による接収は、敗戦という異常な状態のもとで強制的に行なわれたものであつて、右接収に基づく本件係争地の占有はいわゆる強暴の占有である。

(二)  同(二)の事実は否認する。

被告は、買収を示す十分な資料が存在せず、かつ代金支払の形跡がないことおよび登記簿上本件係争地は被告が買受けたと主張している者の所有名義になつていることを知悉していたし、右の者が本件係争地の固定資産税を納付していることは容易に知り得たのであるから、占有の始め悪意有過失であつたというべきである。

五  原告ら(再抗弁)

1  (抗弁3に対し)

(一) 被告は、抗弁3の売買契約による本件係争地の代金を昭和一八年以来支払わないまま放置して原告らの右土地に対する所有権を不安定な状態においており、一方右売買契約の効力を維持する意思を失つているものであるから、原告らは右不安定な状態を解消するため右売買契約を解除することができるものと解すべきである。

仮に右主張が認められないとしても、事情変更の原則により右売買契約を解除することができるものである。すなわち、本件係争地の売買代金は高いものでも反当り四八〇円(三・三平方メートル当り一円六〇銭)であつたが、現在に至るまで右代金は全く支払われないままであつたところ、太平洋戦争終了後のインフレーシヨンと現今の異常な土地価格の謄貴とによつて本件係争地は急激に値上りし、現在の価格は三・三平方メートル当り三万円を下らない状態となつたのであるが、このような著しい事情の変更は、売買契約当時、当事者は全く予見せず、また予見できなかつた事態であり、しかも原告らの責に帰すべからざる事由によつて生じたものである。この場合に右売買契約の効力をそのまま維持させるとすると、信義誠実の原則に反する結果となるものである。

(二) 原告らは、被告に対し昭和四六年二月九日の本件口頭弁論期日において右売買契約を解除する旨の意思表示をした。

2  (抗弁3に対し)

原告名和は、本件(三)の土地につき昭和三五年二月八日請求原因1(三)(2)の売買を原因とする、川口三省は、本件(四)の土地につき昭和四四年九月一二日同(四)(3)の売買を原因とする、原告石黒は、本件(七)の各土地につき昭和四〇年四月一七日同(七)(2)の売買を原因とする、原告倉沢は、本件(九)の土地につき昭和三七年五月一九日同(九)(2)の売買を原因とする各所有権移転登記を経由している。

3  (抗弁4(一)に対し)

本件係争地は、前記四2(一)のとおり、連合国軍によつて接収され、被告は、本件係争地の占有を奪われたものであるから、時効中断の効果が発生したものである。

4  (抗弁4(一)に対し)

時効制度の存在理由の一つとして「権利の上に眠る者は保護しない」ということがあげられているのであるから、権利保護の途があることが時効制度適用の前提であるところ、本件係争地は連合国軍に接収され、その接収期間中原告らあるいはその前主において自己の権利保護を求めることはできなかつたのであるから、右期間を時効期間に算入することは許されないものである。

5  (抗弁4に対し)

時効取得の主張は権利の濫用にあたり許されない。すなわち、太平洋戦争の最中である昭和一八年一一月頃戦争目的遂行のため国民は好むと好まざるとに拘らず国策協力を余儀なくされ、本件係争地の所有者もその付近に建設される軍用施設の敷地の調達のため、売買とは名のみで、売却したくなくとも軍の申入れを拒否できないような状況下で強制的に売買の意思表示をさせられてしまつたのである。その上、戦後の混乱、連合国軍の接収など異常な状態の連続のうちに期間が経過し、しかも代金支払の証明がつかず、付近の土地には売渡書が存在するのに本件係争地についてはそれが全く存しないのである。このような状況のもとで、私人間であるならばともかく、逆に補償をしなければならないような国家とその国民との間の権利関係について国家の方から国民に対して時効取得を主張するのは権利の濫用として許されないものである。

6  (抗弁4に対し)

川口三省は、本件(四)の土地につき、原告石黒は、本件(七)の各土地につき、前記2のとおり、登記を経由している。

7  (抗弁4(二)に対し)

原告倉沢は、本件(九)の土地につき、前記2のとおり、登記を経由している。

8  (抗弁1ないし4に対し)

被告は、昭和三九年九月二八日訴外旭ガラス株式会社に対し本件係争地と事情を同じくする横浜市瀬谷区(旧戸塚区)瀬谷町字中丸五六七一番二と同所五六三八番二の両土地について右会社の所有権を認めているのであるから、原告らに対してだけ種々の主張をして本件係争地の所有権を争うことは禁反言の原則と同様の理由により許されないものである。

六  被告(再抗弁に対する認否)

1  再抗弁1(一)の事実は否認する。

2  同2の事実は認める。

3  同3の事実は否認する。被告は、連合国軍により本件係争地を接収されたときも、右土地を間接占有していたものである。

4  同4、5の各事実は否認する。

5  同6、7の各事実は認める。

6  同8の事実は否認する。

七  被告(再々抗弁)

1  (再抗弁1に対し)

(一) 原告らの本訴提起のときは、既に抗弁3の売買契約に基づく代金の弁済期である昭和一八年一一月二四日から一〇年を経過していたのであるから、その代金債権は時効により消滅した。

(二) 被告は、本訴において右時効を援用する。

2  (再抗弁2、6、7に対し)

請求原因1(三)(2)、(四)(3)、(七)(2)、(九)(2)の各売買契約は、もつぱら本件(三)、(四)、(七)、(九)の各土地に対する被告の所有権取得の主張を妨害する目的でなされたものであつて、原告名和、同石黒、川口三省、原告倉沢は、いわゆる背信的悪意者に当るから、右土地についての被告の登記欠缺を主張するについて正当な利益を有する第三者には該当しない。すなわち、

<ア> 右各売買契約およびその登記は、いずれも後述する原告らの被告に対する本件係争地についての交渉などの経緯からみて、右土地についてその所有権をめぐり原告らと被告との間に現実に紛争状態が生じあるいはそれが生じることが必至であると認められる状態になつてからなされたものである。昭和三四年一〇月から川口三省は、訴外会社(当時の代表取締役は川口三省)の解散のため同会社の財産について整理などを行なつていたが、その際、本件(七)の各土地を含む本件係争地が既に海軍省に買収された土地であるにも拘らず、登記簿上は依然買収前の所有者が所有名義人となつている事実を発見した。そして、その頃から原告らの間で本件係争地についての爾後の処置について具体的な話合がなされるようになつた。昭和三六年頃川口三省は、関東財務局横浜財務部を訪れ、同部担当者から「本件係争地の買収の事実は間違いないものであるが、その事実を直接証明する関係書類は既に焼却されてしまつているため現存しない。」旨の説明を受けた。川口三省は、訴外会社代表者清算人の立場で横浜防衛施設局長に対し、昭和三七年一〇月三一日本件(七)の各土地について「不動産買上申請」をなし、次いで昭和三八年八月二九日右土地について「山林国家買上促進に関する陳情」および「基地内私有地使用許可申請」をなした。横浜防衛施設局長は、川口三省に対し文書をもつて、同年一一月一四日右買上申請については関東財務局横浜財務部に調査依頼中であり土地使用申請については認めることができない旨の回答をなし、次いで昭和四〇年九月二〇日、当時無断で行なつていた本件(七)の各土地の使用は中止して欲しい旨および買上申請の件は横浜財務部から国有地であるとの通知を受けているが、なお調査中である旨の通知をした。昭和四一年一月二五日川口三省外七名は、横浜防衛施設局長に対し、本件係争地について「土地明渡等の申請」をなした。同年二月二五日横浜防衛施設局長は、川口三省に対し文書をもつて、本件(七)の各土地についての買上申請および本件係争地についての土地明渡等の申請についてはなお横浜財務部に対し調査依頼中であつて同部の回答をまつて処理するので関係者に事情周知方願う旨の通知をした。原告らは、昭和四三年一〇月五日横浜財務部長に対し、本件係争地は買収されていない旨の陳情を行ない、昭和四四年一一月六日本訴を提起した。

<イ> 右各売買契約当時、本件(三)、(四)、(七)、(九)の各土地がアメリカ合衆国軍通信施設内に含まれ同軍が現に使用している土地であることは、現地住民であればなおさら、たとえ現地住民でなくとも、現地を直接見分したり簡単な調査をすれば容易にわかるものであつたのであるから、原告名和、同石黒、川口三省、原告倉沢の右各土地の買受目的は、被告の所有権取得の主張を妨害する目的以外には到底考えられないものである。

<ウ> 原告石黒は、訴外会社の代表者であつた川口三省との間に正式の婚姻関係はないが、昭和一八年八月二八日に省吾、昭和二〇年五月八日に美津子、昭和二二年七月二八日に八重子と三名の子供をもうけており、川口三省と生活を共にしてきた間柄であること、本件(七)の各土地ついて原告石黒に対する売買を原因とする所有権移転登記の後、右土地についてはさらに昭和四二年三月一七日川口三省を権利者とする売買予約を原因としての所有権移転請求権仮登記および同年四月四日同人を債務者とする根抵当権設定登記がなされていること、訴外会社は昭和三四年一〇月頃解散し既に清算段階に入つていたのであり、前記<ア>、<イ>の事実経過からすると、本件(七)の各土地に関する訴外会社と原告石黒との売買契約は訴外会社の清算のためとは到底考えられないことなどの事実関係からみて、右売買契約およびその登記は、原告名和が被告による買収の事実その他一切の事情を知悉したうえでなしたものである。

<エ> 川口三省は、前記<ア>のとおり、本件紛争においてその当初から原告らの先頭に立ち指導的役割を果たしてきているものであるが、被告の所有権取得の主張を妨害するという目的以外には特にその必要性も認められない状況の下で、本件(七)の各土地の所有名義を原告石黒に移し、代りに相原昌訓の所有名義になつていた本件(四)の土地をわざわざ自己の所有名義に移している。

<オ> 以上の事情のもとで、原告名和、同石黒、川口三省、原告倉沢は、本件(三)、(四)、(七)、(九)の各土地を買受け、かつ登記をしておきながら、被告の登記の欠缺を主張するものであつて、これは信義則に反するものであるから、いわゆる背信的悪意者に当るものである。

八  原告ら(再々抗弁に対する認否)

1  再々抗弁1(一)の事実は否認する。

2  同2冒頭の事実は否認する。<ア>のうち、被告主張の各売買契約およびその登記が原告らと被告との間に本件係争地の所有権をめぐる紛争が生じあるいは生じることが必至となつた後になされたものであること、川口三省が本件係争地が海軍省により買収された土地であることを認識していたこと、川口三省が横浜財務部を訪れた際担当者から受けた説明が被告主張の内容であつたこと、川口三省が横浜財務部から本件係争地が国有地であるとの通知を受けていたことは否認し、その余は認める。川口三省が横浜財務部を訪れた際担当者から受けた説明は、「調査をしたが、本件係争地が買収されたという証拠はない。しかし、国としては積極的に民有地と認めることもできないので、もしはつきりさせたいのであれば訴訟を起こしてもらう外ない。」ということであつた。<イ>は否認する。<ウ>のうち、本件(七)の各土地に関する訴外会社と原告石黒との売買契約が右会社の清算のため必要な行為でなかつたこと、右売買契約は原告石黒が被告による買収その他一切の事情を知悉したうえで締結したものであることは否認する。本件(七)の各土地について川口三省を債務者とする根抵当権設定登記がなされているのは、同人の経営する訴外有限会社真和産業が訴外横浜南農業協同組合から事業資金を借入れるに際し、同農協は個人たる組合員にしか融資をしないので、右農協の組合員である川口三省が貸付を受け、その際原告石黒から担保の提供を受けたことによるものであるが、右会社は担保提供料として一定の料金を原告石黒に支払い、その料金支出は右会社の帳簿に明記されているのである。<エ>、<オ>は否認する。

第三証拠<省略>

理由

一1  原告守屋栄が大正一五年四月二六日家督相続により本件(一)の各土地の所有権を取得したことは当事者間に争いがない。

鎌田登一がもと本件(二)の各土地を所有していたことは当事者間に争いがないところ、<証拠省略>によると、原告鎌田が昭和四一年二月四日相続により同土地に関する鎌田登一の権利義務を単独承継したことが認められる。

平本七郎がもと本件(五)の土地を所有していたことは当事者間に争いがないところ、<証拠省略>によると、原告平本政美が昭和二五年二月四日相続により同土地に関する平本七郎の権利義務を単独承継したことが認められる。

守屋房吉がもと本件(六)の土地を所有していたことは当事者間に争いがないところ、弁論の全趣旨によると、原告守屋伴男が昭和五〇年八月一九日相続により同土地に関する守屋房吉の権利義務を単独承認したことが認められる。

原告平本兼次が大正九年七月七日家督相続により本件(八)の各土地の所有権を取得したことは当事者間に争いがない。

2(一)  相原美代吉がもと本件(三)の土地を所有していたことは当事者間に争いがないところ、<証拠省略>によると、原告名和が昭和三五年二月八日相原美代吉から本件(三)の土地を買受けてその所有権を取得したことが認められる。

(二)  被告は、右売買契約は通謀虚偽表示により無効である旨主張するけれども、これを認めるに足りる的確な証拠はないから、この主張は採用しない。

被告は、本件(三)の土地は右売買契約当時現況が農地法上の農地であつたから右売買契約は効力が生じない旨主張するので、この点について検討するに、昭和二九年春頃から本件係争地を含む付近一帯の土地がほぼ全域にわたり農業委員会から割当をうけた農民により耕作されていたことは、後記二3のとおりであるが、本件(三)の土地が前記(一)の売買契約当時現に耕作されていたことあるいは少なくとも休耕地であつたことを認めるに足りる的確な証拠はないから、被告の前記主張は採用しない。

3(一)  相原美代吉がもと本件(四)の土地を所有していたことは当事者間に争いがない。

原告川口は、相原昌訓が昭和二五年五月一〇日を起算日とする取得時効により右土地の所有権を取得した旨主張し、<証拠省略>によると、右土地の登記簿および土地台帳にその旨の登記登録がなされていることが認められ、また、証人相原昌訓の証言中には右主張に副う部分があるが、右証言部分は<証拠省略>に照らし措信しえず、他に右主張を認めるに足りる何らの証拠もないので、右登記・登録の一事をもつて時効取得の事実を認めることはできない。しかし、<証拠省略>によると、同人が昭和四五年相続により本件(四)の土地に関する相原美代吉の権利義務を単独承継したことが認められる。

(二)  <証拠省略>によると、川口三省が昭和四四年九月一一日相原昌訓から本件(四)の土地を買受けたことが認められる。

被告は、右売買契約が通謀虚偽表示により無効である旨主張するけれども、これを認めるに足りる証拠はないから、この主張は採用しない。

<証拠省略>および弁論の全趣旨によると、原告川口が昭和四九年一一月二七日相続により本件(四)の土地に関する川口三省の権利義務を単独承継したことが認められる。

4(一)  訴外会社がもと本件(七)の各土地を所有していたことは当事者間に争いがないところ、<証拠省略>によると、原告石黒が昭和四〇年四月一五日訴外会社から右土地を買受けてその所有権を取得したことが認められる。

(二)  被告は、右売買契約が通謀虚偽表示により無効である旨主張するので、この点について検討する。

<証拠省略>を総合すると、原告石黒は、川口三省との間に正式の婚姻関係はなかつたものの、昭和一五年頃から同人が死亡した昭和四九年一一月頃まで生活費の援助を受けたり起居を共にした間柄にあり、その間に三名の子供をもうけるなど川口三省とは実質上の夫婦関係にあつたこと、川口三省は、資本金四〇〇万円の訴外会社の代表者であつたが、昭和三四年一〇月頃から同会社の解散のためその財産の整理などを行なつていたところ、本件(七)の各土地の登記簿上の所有名義人が訴外会社のままになつていることを発見したので、昭和三六年頃関東財務局横浜財務部において右土地に関する買収関係について調査をしたり、昭和三七年一〇月三一日と昭和三八年八月二九日の二回にわたり横浜防衛施設局長に対し右土地の買上申請などをした(川口三省が昭和三四年一〇月頃から前記行為をなした事実は当事者間に争いがない)が、土地売渡書・登記承諾書や代金支払関係書類が現存しないにも拘らず、被告は右土地についての訴外会社の所有権を認めなかつたこと、そのような状況のもとで、訴外会社(代表者川口三省)と原告石黒との間において前記(一)の売買契約がなされその二日後に右土地につき原告石黒のため所有権移転登記が経由され、その結果、被告は、原則として、後記二5の昭和一八年一一月二四日売買による右土地の所有権取得を原告石黒に主張しえなくなつたこと、原告石黒は、前記(一)の売買契約をなすにあたり、売買契約書を作成しなかつたのみならず、本件(七)の各土地について登記簿謄本を確認していないうえ、現地へは右売買契約の前後を通じ昭和四四年に一度行つただけである(同年一一月六日に本訴が提起されたことは記録上明らかである)など真実右土地を買受けたならば通常するであろう行為をしていないことが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

<証拠省略>によると、前記(一)の売買契約当時別紙目録(七)(1)記載の土地(以下「本件(七)(1)の土地」という)には債務者を訴外会社とし債権額を二〇〇万円とする抵当権設定登記が経由されていることおよび右売買契約の後である昭和四二年三月一三日原告石黒と川口三省との間で本件(七)の各土地の売買予約がなされて、同月一七日それを原因とする所有権移転請求権仮登記が経由され、次いで同月三一日右土地につき川口三省の債務を担保するため元本極度額四〇〇万円の根抵当権設定契約がなされ、同年四月四日にその登記が経由されたことが認められるところ、原告石黒ツヤ本人の供述中には、同原告が前記(一)の売買契約の際に川口三省から前記抵当権について説明を受けたり、前記売買予約や根抵当権設定契約の事実を了知していたことを窺わせる部分すらないのである。

訴外会社と原告石黒との間で前記(一)の売買契約が真実成立したとすると、昭和四三年一〇月五日当時訴外会社は本件係争地について何ら所有権を有していないこととなるにも拘らず、<証拠省略>によれば、訴外会社は、外七名(原告石黒は右七名に加わつていない)と共に昭和四三年一〇月五日本件係争地の明渡などを求める陳情を被告にしていることが認められ、これによれば、訴外会社は、前記(一)の売買契約が成立し原告石黒へ登記が経由された後も、本件(七)の各土地につき自己の所有権を主張しており、同原告は右主張をしていなかつたことが明らかである。

<証拠省略>は訴外会社の昭和四〇年度の元帳であるが、それには「土地代金として原告石黒から昭和四〇年四月一五日に一〇万円、同月一七日に三六万四〇〇〇円の入金があつた」旨の記載があり、また、原告石黒ツヤ本人は、「本件(七)の各土地の売買代金として五〇万円位の金を川口三省に支払つた」旨の供述をしている。しかし、右元帳に記載された入金額四六万四〇〇〇円を本件(七)の各土地の登記簿上の合計面積三〇六四平方メートル(九二七坪。これが実測面積と相異するとの事実を認めるに足りる証拠はない)で除すると、一坪当り五〇〇円強となるが、右金額は、当時の地価として著しく低いものというべく、このことは、前記合計面積の約半分に当る本件(七)(1)の土地につき当時債権額を二〇〇万円とする抵当権が設定されていたとの前認定事実に照らしても明らかである。もつとも、<証拠省略>によると、右抵当権は昭和四〇年四月三〇日放棄を原因として同年五月二二日に抹消されていることが認められるところ、<証拠省略>(訴外会社の昭和四〇年度の決算報告書)には右放棄の対価を支払つたことの記載がないから、前記(一)の売買契約当時右抵当権の被担保債権は存在しない状態にあつたと推認される。そうすると、前記四六万四〇〇〇円という金額は本件(七)の各土地の売買代金としては余りにも低廉であつたといわねばならず、仮に原告石黒と訴外会社との間で右金員の授受があつたとしても、それが右土地の売買代金であつたか否かは極めて疑わしく、これに前記認定の諸事情を併せ考えると、<証拠省略>はにわかに措信し難いものである。

以上の事実によると、訴外会社と原告石黒との間でなされた前記(一)の売買契約は、右会社の代表者であつた川口三省が実質上の夫婦関係にあつた原告石黒と通謀のうえ、本件(七)の各土地に対する被告の登記が未了であることを奇貨とし、被告の所有権を喪失させるためになした虚偽表示であると認めるのが相当である。

(三)  そうすると、前記(一)の売買契約は通謀虚偽表示として無効であるから、原告石黒は本件(七)の各土地について所有権を取得することはできず、従つて、その余の主張について判断するまでもなく、右土地につき所有権の確認および本件(七)(2)の土地上のアンテナポールの撤去を求める同原告の本訴請求は理由がない。

5(一)  原告平本兼次がもと本件(九)の土地を所有していたことは当事者間に争いがないところ、<証拠省略>によると、原告倉沢が昭和三七年五月一九日原告平本兼次から右土地を買受けてその所有権を取得したことが認められる。

(二)  被告は、右売買契約は通謀虚偽表示により無効である旨主張するが、これを認めるに足りる的確な証拠がないから、この主張は採用しない。

また、被告は、右売買契約当時本件(九)の土地は現況が農地法上の農地であつたから、右売買契約は効力が生じない旨主張するので、この点について検討するに、後記二3の事実および<証拠省略>によると、原告倉沢は将来宅地とする目的で本件(九)の土地を買受けたものであるが、右土地は付近一帯の土地とともに昭和二九年春頃開墾されたもので、前記(一)の売買契約当時は訴外山田善作が耕作しており、農地法上の農地であつたことが認められる。ところが、右売買契約について農地法五条の規定による許可があつたことあるいは買主の責に帰すべからざる事由を主因として非農地化したことにつき何らの主張も立証もないから、右売買契約は効力を生じないものである。

そうすると、原告倉沢は前記(一)の売買契約により本件(九)の土地の所有権を取得することができず、従つて、右土地につき所有権の確認を求める同原告の本訴請求は理由がない。

二  被告は、昭和一八年一一月二四日原告守屋栄から本件(一)の各土地を、鎌田登一から本件(二)の各土地を、相原美代吉から本件(三)、(四)の各土地を、平本七郎から本件(五)の土地を、守屋房吉から本件(六)の土地を、原告平本兼次から本件(八)の各土地をそれぞれ買受けた旨主張するので、この点について検討する。

1<証拠省略>に弁論の全趣旨を総合すると、本件係争地の買収手続に関し次の事実が認められ、他にこれを左右するに足りる的確な証拠はない。

被告(海軍省)は、昭和一八年頃横浜市瀬谷区(旧戸塚区)瀬谷町に軍需部倉庫施設を設けていたが、新たに火薬庫を設けるため既存の施設を拡張することとなり、本件係争地を含む付近一帯の土地を買収することを決定し、横須賀海軍施設部において所轄の税務署や役場で公図や登記簿などにより買収対象地を調査したうえ買収に関する調書を作成するとともに、役場や金融機関などに照会し土地価格を調査して買収価格を決定した。次いで、横須賀海軍施設部は、昭和一八年一一月二一日頃横浜市戸塚区瀬谷出張所長平本七郎などを通じて原告守屋栄、鎌田登一、相原美代吉、平本七郎、守屋房吉、訴外会社および原告平本兼次(以下「原告守屋栄外六名」という)ら土地所有者に対し、「軍用地買収の件で協議するから実印持参のうえ同月二四日に瀬谷国民学校に参集するように」との通知を発出した。

横須賀海軍施設部の買収担当職員であつた会計主任、財務主任は、同日右学校において原告守屋栄外六名(訴外会社では当時常務取締役であつた川口三省が出席した)ら約六〇名の土地所有者に対し、公図の拡大図により買収の対象となつている土地を示し、軍事上火薬庫を設置する必要がありそのための用地買収が必要であることを説明し、買収価格などの買収条件を明示してその協力を求めたところ、内心価格に不満を感ずる者もいたが、出席者の中から反対の意思を表示する者はなく一同買収に応ずる態度であつたので、「買収地に対しては本日頃から工事の一部を開始すること、土地所有者は土地代金の請求・受領を海軍省の指定する代表者に委任することなどの条件により自己所有地を海軍省に売渡すことを承諾する。」旨記載した承諾書(以下「本件承諾書」という)と「このたび海軍省に売渡した土地代金の請求および受領の権限を横浜市戸塚区瀬谷出張所長平本七郎に委任する。」旨記載した委任状と地目ごとに単価(山林で四五級以下のものは反当り四七〇円)を記載した土地買収価格表とを綴つた書類に原告守屋栄外六名を含む出席者の捺印をえた。

横須賀海軍施設部は、その頃本件係争地を含む右買収対象地と非対象地との境に有刺鉄線を張りめぐらして立入禁止にするとともに、本件(一)、(二)、(五)、(六)の各土地、横浜市瀬谷区(旧戸塚区)瀬谷町字中丸五五四三番二山林一反六畝一九歩(これはその後分筆された本件(三)、(四)の各土地となつた)、同所五六四一番二山林七畝一五歩(これはその後分筆され本件(八)(2)、(九)の各土地となつた)の各南端を通つて東西に走る道路を建設し、右買収対象地は現地においても明確となつたものであるが、原告守屋栄外六名はこれを知つた後もこれに何ら異議を述べなかつた。

2 1の事実のほかに、昭和一八年一一月二四日に本件係争地の売買契約が成立したことを裏付ける次の事実がある。

(一)  地租法(昭和六年三月三一日法律第二八号・昭和二二年三月三一日に廃止)三〇条二号は、「一筆の土地の一部が有租地から無租地となつたときは、土地所有者から分筆の申告がない場合でも、税務署長はその土地を分筆する。」旨規定しているところ、<証拠省略>によると、横須賀海軍施設部は、昭和一九年八月四日横浜西税務署長に対し、昭和一八年一一月二四日本件係争地(各地積の記載がある)を海軍省用地として買収したので地租法三〇条二号により職権で分筆するよう求めたことが認められ、<証拠省略>によると、昭和一九年一一月二九日本件係争地につき土地台帳上分筆の登録がなされたことが認められる。

(二)  <証拠省略>によると、本件承諾書では、「植樹した立木は土地とは別に買収する。所有者は昭和一八年一二月二一日までに役場を経由して申告書を提出し、その価格は県林務課または営林署に調査を依頼して決定する。」となつていることが認められるところ、前記一の事実および<証拠省略>によると、原告守屋栄が横浜市瀬谷区(旧戸塚区)瀬谷町字中丸五五四一番外五筆の土地(本件(一)の各土地を含む)上の立木を代金一九一九円三五銭で、鎌田登一が同所五六八二番一外四筆の土地(本件(二)の各土地を含む)上の立木を代金六一三六円二〇銭で、相原美代吉が同所五五四三番の土地(本件(三)、(四)の各土地)上の立木を代金六二二二円三〇銭で、守屋房吉が同所五五五八番の土地(本件(六)の土地)上の立木を代金一九七八円で、訴外会社が同所五七一一番外一四筆の土地(本件(七)の各土地を含む)上の立木を代金八万四九四五円九〇銭で、原告平本兼次が同所五六四一番の土地(本件(八)(2)、(九)の各土地)上の立木を代金二六三九円二〇銭でそれぞれ海軍省に売渡し、右各代金は昭和二〇年一一月一四日頃支払われた(訴外会社の受取人は川口三省)のであるが、その立木売渡書の日付はいずれも昭和一八年一一月二四日となつていることが認められる。

(三)<証拠省略>は横須賀海軍施設部が前記1の買収対象地の売買代金を支出するため作成した契約伝票であるが、それには昭和一八年一一月二四日に買収価格を協定した旨の記載がある(右価格は前記1の土地買収価格表の価格と同じ)ことが認められる。

3 本件係争地が太平洋戦争終結後間もなく連合国軍によつて接収され、その後一旦接収が解除されたが、昭和二六年三月一五日再び接収されその状態が対日平和条約が発効した昭和二七年四月二八日まで継続していたことは当事者間に争いがなく、これに<証拠省略>並びに弁論の全趣旨を総合すると、戦後における本件係争地の状況および占有状態に関し次の事実が認められ、右認定に反する<証拠省略>は措信せず、他に同認定を左右するに足りる証拠はない。

被告は、本件係争地を含む前記1の買収対象地を連合国軍により太平洋戦争終結後間もなく接収され、その後一旦接収を解除されたものの、昭和二六年三月一五日再び接収され、その状態は対日平和条約の効力が発生した昭和二七年四月二八日まで継続したが、その後現在に至るまで条約などに基づき右土地をアメリカ合衆国軍に提供している(被告は、昭和二八年三月右土地を国有財産として現地調査したうえ民有地との境に杭を埋設した)。連合国軍およびアメリカ合衆国軍は、右土地を通信施設として使用しており、昭和二六年頃から右土地上にアンテナポールを設置してその後増設し、現在右土地上に多数のアンテナポールが存在している(本件(二)(2)、(六)、(七)(2)の各土地上にもアンテナポールが現存することは当事者間に争いがない。)。横須賀海軍施設部により建設された前記1の道路は現在もあり、右多数のアンテナポールとともに本件係争地付近における買収対象地と非対象地との境を明確にしている。

被告は、昭和二八年一二月二五日訴外瀬谷農業委員会から本件係争地を含む前記買収対象地の開墜許可申請をうけたので、離作に対する補償請求権を放棄することを条件に右開墾の許可を与えたところ、右委員会は、その下部組織である生産組合を通じ、昭和二九年春頃から右土地のほぼ全域にわたり、農業を営む者で耕作を希望する者に土地を割当て、開墾させた上畑として耕作させた。右土地はその後も耕作されてきたが、現在荒地の部分もある。ところで原告鎌田は右開墾に加わつたものの、原告守屋栄外六名並びに原告名和、同平本政美、同守屋伴男および同石黒は右開墾・耕作に何ら関与していないのであるが、その総元締めである瀬谷農業委員会や本件係争地を含む区域を担当した相沢生産組合は、何人からも右開墾・耕作につき異議を述べられたことがなかつた。

4 本件係争地の売買代金が支払われたかどうかについて検討する。

前記2(一)の事実に<証拠省略>を総合すると、横須賀海軍施設部では、土地売買代金の支払は原則として所有権移転登記が完了してから行なわれていたが、昭和一八年当時は、昭和一五-六年頃海軍省経理局長・同建築局長から発出された「所有権移転登記に支障がなければ登記完了前でも代金の支払をしてもよい」旨の通牒に従い処理していたこと、横須賀海軍施設部は、昭和一九年七月八日までに本件係争地を含む前記1の買収対象地について登記または代金支払に重大な関係を有する土地所有者ごとの調書を完成し、同年八月四日税務署長に対し、本件係争地が無租地になつたとして職権により土地台帳上の分筆をなすことを求め(同年一一月二九日右分筆の登録がなされた)、同月二八日右買収対象地の売買代金合計三一万〇四〇二円八八銭を支出するため契約伝票を作成したこと、右土地のうち一筆全部買収された土地については同年一二月六日に代金が支払われ、昭和二〇年一月あるいは同年三月に海軍省のために所有権移転登記が経由されたこと、ただ、訴外会社所有の一四筆(本件(七)の各土地を除く)については抵当権が設定されていたことから昭和二二年九月に売買代金が支払われたが、登記はそのまま放置され、昭和三六年三月になつてようやく経由されたことが認められる。

前記一4(二)、二1、3の各事実に<証拠省略>並びに弁論の全趣旨を総合すると、原告守屋栄外六名は、海軍が本件係争地を買収したとして昭和一八年一一月二四日頃から右土地の占有を始めたため自らの占有を喪失したことを知つていたにも拘らず、訴外会社が昭和二〇年七月頃に横浜市瀬谷区(旧戸塚区)瀬谷町字中丸五五六六番二山林三反二八歩(その後更に分筆されて本件(七)の各土地となつた)外一四筆の売買代金の支払を請求したことはあるが、それ以外に、原告守屋栄外六名および原告平本政美が本件係争地について売買代金が支払われていないことを問題にしたことはなかつたこと(とりわけ守屋房吉の場合は買収の対象となつたのは本件(六)の土地だけであつたのにも拘らず、ところが、川口三省が昭和三四年一〇月頃から訴外会社の解散のため同会社の財産の整理などを行なつていた際、かつて海軍省による買収の対象になつたが登記が右会社名義のままになつている前記一五筆を含む二七筆の土地を発見したので、昭和三六年頃関東財務局横浜財務部に赴きその買収関係について調査をしたところ、本件(七)の各土地についてだけ土地売渡書や代金支払関係書類が存しないことおよび外にも右土地と同じような土地(本件係争地)があることを知つたこと、そこで、川口三省は原告守屋栄外六名(但し平本七郎の代りに原告平本政美)に右事情を明らかにしたところ、被告との折衝を任されたので右七名の代表者として折衝を始めるに至つたことが認められる。

以上認定した事実に、前記2(二)のとおり本件(一)ないし(四)、(六)、(七)、(八)(2)、(九)の各土地上の立木の売買代金が昭和二〇年一一月一四日頃支払われたこと並びに戦後の混乱などにより関係書類が散逸したという蓋然性を併せ考えると、本件係争地についても売買代金が支払われた可能性を否定することはできないが、一方、本件係争地は一筆の一部が買収の対象となつたものであるから、その分筆登記をしなければ移転登記ができないものであるところ、前記のとおり、土地売買代金が支払われた昭和一九年一二月六日当時は分筆登記ができておらず、その後いつ右登記がなされたか明らかでないのみならず、仮に一筆全部買収された土地と同様に本件係争地についても代金が支払われているならば、分筆登記・移転登記に必要な書類を取得したうえ一筆全部買収された土地と同じ頃に右各登記が経由されている筈であるなどの疑問点がある。のみならず、被告において、海軍省が昭和一八年一一月二四日買収した土地についていかなる方法で売買代金を支払つたのかさえも立証しないのであるから、未だ本件係争地の売買代金が支払われたとの事実を認定するまでの確たる心証を抱くことはできないといわねばならない。

もつとも、<証拠省略>には、「本件係争地の売買代金は受領していない。」との部分があるが、原告鎌田孝太郎、同平本兼次は川口三省からの伝聞を根拠にしていることが認められることのほか、前記認定事実に照らすと、右各証拠はにわかに措信することができない。

5 以上1ないし3の各事実に、本件係争地は地目が山林で四五級であることが<証拠省略>によつて認められ、前記1の買収対象地の一部にして本件係争地に近接した土地が海軍省に買収されていることが<証拠省略>および弁論の全趣旨によつて認められることを併せ考えると、被告は、昭和一八年一一月二四日代金は反当り四七〇円の約で、原告守屋栄から本件(一)の各土地を、鎌田登一から本件(二)の各土地を、相原美代吉から本件(三)、(四)の各土地を、平本七郎から本件(五)の土地を、守屋房吉から本件(六)の土地を、(訴外会社から本件(七)の各土地を)、原告平本兼次から本件(八)、(九))の各土地を買受けてその所有権を取得したことが推認され、<証拠省略>中右認定に反する部分は措信せず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

なお、<証拠省略>によると、本件係争地と同時に一筆全部が買収された近接地については昭和一九年四月一日に土地売渡書が作成されたことが認められるところ、被告が本訴において本件係争地の土地売渡書を提出せず、また前記4のとおり、本件係争地の売買代金が支払われたことを認めるに足りる的確な証拠はないが、売買契約の成立には売主の財産権移転と買主の代金支払とに関する合意があれば足り、売渡書の作成や売買代金の支払は必ずしも必要ではないのであつて、前示事実から右合意が昭和一八年一一月二四日成立したことが優に推認されるから、右書類が存しないことおよび代金支払の事実が真偽不明であることをもつて前記判断を左右するものではない。また、仮に原告らあるいはその前主が昭和一八年一一月二四日以降も本件係争地の地租あるいは固定資産税を支払つていたとしても、右税金は、土地台帳上あるいは登記簿上の所有名義人に賦課される取扱であるが、当該土地について所有権の得喪変更が生じてもそれに伴い当然に右名義が変更されるものではないことを考えると、右税金支払の事実があるからといつて直ちに前記判断を左右するものということはできない。

三1  原告守屋栄、同鎌田、同名和、同川口辰彦、同平本政美、同守屋伴男、同平本兼次は、被告が長年の間右原告七名との間の前記二5の売買契約の代金を支払わないまま放置し同原告らの所有権を不安定な状態に置いており、一方、右売買契約の効力を維持する意思を失つているものであるから、前記不安定な状態を解消するため契約解除権が生じたので、売買契約を解除する旨主張するが、仮にそのような事実が認められたとしても、解除権が発生するものではないから、右主張はそれ自体失当である。

2  右原告七名は、前記二5の売買契約の成立後何人にも予見しえなかつたインフレーシヨンなどにより本件係争地の価格が暴謄した現在、その契約内容をそのまま維持することは信義誠実の原則に反するものであり、事情変更による契約解除権が生じたから右売買契約を解除する旨主張するので、この点について検討する。

事情変更による契約解除権が発生するには、事情変更の結果当事者を当初の契約内容に拘束することが信義則上著しく不当と認められることを要件の一つとするが、これは、契約解除の意思表示をなす当時少なくとも右解除を主張する者の契約上の権利が存在していることが前提となつていると解されるところ、契約の解除の効果を主張する者は、その解除原因事実(右権利の存在など)について立証する責任がある。以上の見地にたつて本件をみるに、被告の右原告七名に対する売買代金債務の不履行を認定することができないことは前記二4のとおりであるし、また、前記二1ないし3、5の各事実によると、右代金債権は契約の成立した昭和一八年一一月二四日あるいは周辺の土地の代金が支払われた昭和一九年一二月六日に履行期が到来したものと推認されるところ、右原告七名は本訴において契約解除の意思表示をなしたが、本訴提起のときはすでに右履行期から一〇年以上を経過していて右代金債権は時効によつて消滅したことが認められ、被告が本訴において時効を援用したことは当裁判所に顕著である。右原告七名は、被告が右時効を援用することは権利の濫用であつて許されない旨主張するが、前記二3、4で認定した事実などに照らすと、この主張を認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

そうすると、右原告七名は、本訴において契約解除の意思表示をした当時売買代金債権が存在していることを立証できなかつたことになるから、その余の事実について判断するまでもなく、事情の変更による前記二5の売買契約の解除という右原告七名の前記主張は採用することができない。

3  右原告七名は、被告において昭和三九年九月二八日旭ガラス株式会社に対し本件(一)ないし(六)、(八)の各土地と同一事情にある土地について右会社の所有権を認めているのであるから、右原告らに対してだけ種々の主張をして右土地についての同原告らの所有権を否認することは禁反言と同様の理由により許されない旨主張するので、検討するに、前記二の事実に<証拠省略>によると、横浜市瀬谷区(旧戸塚区)瀬谷町字中丸五六三八番二、同所五六七一番二の各土地は本件(一)ないし(六)、(八)の各土地と同様に海軍省が昭和一八月一一年二四日訴外大熊茂太郎から買受けた土地であるが、分筆登記・移転登記が未了の土地であつたところ、旭ガラス株式会社が昭和三五年五月一三日大熊茂太郎から右土地を買受けたこと、被告が昭和三九年九月二八日右会社に対し国有地と右会社所有の右土地との境界を承認したことが認められる。しかし、右事実から禁反言の原則を類推してそれと同じ効果を認めることは到底できず、その他右原告を類推すべき事実を認めるに足りる証拠はないので、この主張は採用しない。

四1  被告は、前記二5の売買契約により本件(一)、(二)、(五)、(六)、(八)の各土地の所有権を取得したのであるが、前記一1のとおり、原告守屋栄および同平本兼次は契約当事者であり、原告鎌田、同平本政美および同守屋伴男は契約当事者の包括承継人であるから、被告は、右各原告に対し、登記なくして右各土地につき前記売買契約による所有権取得を主張することができ、従つて、右各原告は右各土地につき所有権を有しないこととなる。

そうすると、その余の主張について判断するまでもなく、被告に対し、本件(一)の各土地につき所有権の確認を求める原告守屋栄の、本件(二)の各土地につき所有権の確認および本件(二)(2)の土地上のアンテナポールの撤去を求める原告鎌田の、本件(五)の土地につき所有権の確認を求める原告平本政美の、本件(六)の土地につき所有権の権認および右土地上のアンテナポールの撤去を求める原告守屋伴男の、本件(八)の各土地につき所有権の確認および本件(八)(2)の土地上の立札の撤去を求める原告平本兼次の本訴請求はいずれも理由がない。

2  被告が前記二5の売買契約により相原美代吉から本件(三)の土地の所有権を取得し、一方、原告名和が前記一2(一)の売買契約により相原美代吉から右土地の所有権を取得したことは前記のとおりであるところ、同原告が昭和三五年二月八日右土地につき右売買を原因とする所有権移転登記を経由したことは当事者間に争いがない。

被告は、原告名和がいわゆる背信的悪意者であつて、本件(三)の土地について被告の登記の欠缺を主張するにつき正当の利益を有する第三者といえないから、登記がなくても前記二5の売買契約による所有権取得をもつて原告名和に対抗しうる旨主張するが、これを認めるに足りる的確な証拠はないので、この主張は採用しない。

3(一)  被告が前記二5の売買契約により相原美代吉から本件(四)の土地の所有権を取得し、一方、川口三省が前記一3(二)の売買契約により相原美代吉を相続した相原昌訓から右土地の所有権を取得したことは前記のとおりであるところ、川口三省が右土地につき昭和四四年九月一二日右売買を原因とする所有権移転登記を経由したことは当事者間に争いがない。

(二)  被告は、川口三省がいわゆる背信的悪意者であつて、本件(四)の土地について被告の登記の欠缺を主張するにつき正当の利益を有する第三者といえないから、登記がなくても前記二5の売買契約による所有権取得をもつて川口三省に対抗しうる旨主張するので、この点について検討する。

本件(四)、(七)の各土地を含む本件係争地は、昭和一八年一一月二四日海軍省により軍用地として買収された土地の一部であり、太平洋戦争終了までは海軍が、昭和二七年四月二八日までは空白期間はあるものの連合国軍が、その以後はアメリカ合衆国軍がそれぞれ使用していること、川口三省は、訴外会社の役員として本件(七)の各土地に関する前記二5の売買契約に直接関与したものであるが、昭和三六年頃被告が本件係争地についての土地売渡書や代金支払関係書類を所持していないことを知り、自ら右土地のもと所有者に働きかけてその代表者となり本件係争地の返還などの要求をして被告と折衝してきたことは、前記二のとおりである。その間の昭和四〇年四月一五日、当時訴外会社の代表者であつた川口三省は、実質上の夫婦関係にあつた原告石黒と通謀のうえ、本件(七)の各土地に対する前記二5の売買による被告の登記が未了であることを奇貨として、その所有権を喪失させるため右土地の売買契約を仮装し、原告石黒に所有権移転登記を経由したことは、前記一4のとおりである。前記一3の事実に<証拠省略>を総合すると、相原昌訓は、昭和四五年相続により相原美代吉の地位を承継したものであるのに、川口三省が旧地主の代表者として被告と折衝中の(しかも、話合による解決が困難となつていた。)昭和四三年六月二八日取得時効により本件(四)の土地の所有権を取得したとする架空の登記を経由したうえ、昭和四四年九月一一日右土地を川口三省へ売渡したことが認められ、右土地につき翌日同人のために移転登記が経由されたことは前記(一)のとおりである。川口三省がそれから二か月も経たない同年一一月六日原告の一人として本件訴を提起したことは前記のとおりであり、しかも<証拠省略>によると、相原昌訓が、川口三省から本件(四)の土地の売却を申し込まれ同人に売渡したものの、被告が相原美代吉を証人申請したことに驚き、二回にわたり「右土地は相原美代吉が海軍省に売渡した土地であるから、売値の三倍位の値段で買戻すか代替地と交換したい。」旨の提案を川口三省にしたが、同人は一-二億円の金を出すならば別だがとして全くこれに応じなかつたことが認められる。

以上の事実によると、川口三省は、本件(四)、(七)の各土地が昭和一八年一一月二四日被告に売渡されており、昭和二七年以降は日本国との条約などに基づきアメリカ合衆国が使用している土地であることを知りながら、被告が右各土地につき右買収に基づく登記をしていないことを奇貨として本件(七)の各土地については仮装売買による登記を経由させる方法により、また、本件(四)の土地については本訴提起の直前に買受けて登記を経由する方法により、本件(七)の各土地だけでなく本件(四)の土地に対する被告の所有権も喪失させることを企図するとともに、係争地を殊更取得して原告として裁判に加わることを企図したものと認めるのが相当である。そうであるとすると、川口三省が右のような意図で本件(四)の土地を買受け、かつ登記をしておきながら、被告の登記の欠缺を主張することは信義則に反するものであるから、かかる川口三省は、いわゆる背信的悪意者にあたり、登記の欠缺を主張するにつき正当の利益を有する第三者とはいえないものである。

よつて、被告は、本件(四)の土地につき、登記なくして前記二5の売買による所有権取得を川口三省およびその包括承続人である原告川口に対抗することができ、従つて、同原告は右土地につき所有権を有していないこととなるから、その余の主張について判断するまでもなく、右土地につき所有権の確認および同土地上の立札の撤去を求める原告川口の本訴請求は理由がない。

五  被告は、本件(三)の土地につき、取得時効によりその所有権を取得した旨主張するので、この点について検討する。

1  前記二1ないし3、5の各事実によると、被告は、昭和一八年一一月二四日頃から所有の意思をもつて本件(三)の土地の占有を始め、それから二〇年を経過した昭和三八年一一月二四日頃にもその占有をしていたことが認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

なお、<証拠省略>によると、本件(三)の土地の登記簿上の所有名義人は、大正二年以降は相原美代吉と、昭和三五年二月八日以降は原告名和となつており、右土地の固定資産税は右前日までは相原美代吉が、その後は原告名和が負担していることが認められるけれども、右事実をもつてしてはいまだ被告の前記占有の事実を認定することの妨げとはなり得ない。

2  原告名和は、本件(三)の土地が戦後二回にわたり連合国軍によつて接収されたことにより被告はその占有を奪われたものであるから、時効中断の効果を生じた旨主張する。そこで検討するに、連合国軍が戦後間もなく本件(三)の土地を接収し、その後一旦それを解除したが、昭和二六年三月一五日再び接収したことは前記二3のとおりであるところ、右接収により連合国軍が右土地の占有を取得したことは公知の事実というべきである。被告は、それ以前の昭和一八年一一月二四日頃から所有者として右土地を占有していたが、敗戦国の義務として連合国軍に右土地の使用を認めたのであつて、直接占有を失つたことを放置していたものということはできないし、右土地の使用に関し連合国と被告とがいかなる権利関係にたつのかも明らかでなく、被告は接収後もなお右土地の間接占有をしていたと解する余地がある。従つて、接収により被告が本件(三)の土地の占有を奪われたという原告名和の主張はにわかに採用することができない。

原告名和は、右接収による本件(三)の土地の占有は強暴の占有である旨主張するが、強暴の占有とは、強迫暴行のごとき不法行為による占有をいうと解されるところ、接収は、連合国軍による日本国占領の一貫としてその権利に基づき行なわれたものであり、右土地の接収による占有がにわかに強暴の占有にあたるということはできないので、右主張は採用しない。

原告名和は、その前主の相原美代吉において連合国軍による本件(三)の土地の接収期間中自己の権利の保護を求めることができなかつたから、右期間は時効期間として算入すべきではない旨主張するが、所有権者と主張する者は、被告に対し右土地の所有権確認の訴を提起することなどによりその権利の保護をはかる途がないわけではなかつたのであるから、右主張は採用しない。

原告名和は、被告において本件(三)の土地を買収したとはいつても、戦争目的遂行のために強制的に買上げたものである(土地売渡書や代金支払関係書類は存しない)のみならず、戦後の混乱と連合国軍による接収という異常な状態のもとで期間が経過したのであるから、本来なら補償をしてしかるべき被告において右土地の取得時効を主張することは権利の濫用として許されない旨主張する。そこで検討するに、なるほど、本件係争地を海軍省が買収する際その価格に不満を感じていた者がいたこと、本件(三)の土地について土地売渡書や代金支払関係書類が現存しないこと、右土地は戦後二回にわたり連合国軍に接収されたこと、被告は昭和一八年一一月二四日右土地を買収したのに昭和三六年頃川口三省から働きかけをうけるまで右買収に基づく登記の検討を怠つていたこと、その結果相原美代吉・原告名和が登記簿上所有者であるために固定資産税の負担を余儀なくされて不利益をうけたことは前記のとおりである。しかし、右事実から直ちに被告による取得時効の主張が権利の濫用にあたるものということはできないのみならず、本件(三)の土地は、前記買収後引続き海軍省が、昭和二七年四月までは連合国軍が、現在まではアメリカ合衆国軍がそれぞれ使用していることは前記のとおりであるのに対し、原告名和アサ本人の供述によると、同原告は、昭和三五年に本件(三)の土地を買受けたものの、右土地の現状およびその利用に殆んど関心をはらつていないことが認められるほか、前記認定の諸般の事情を併せ考えると、被告の本件(三)の土地に関する取得時効の主張が権利の濫用にあたるものとは認め難く、その他原告名和の前記主張を認めるに足りる証拠はないから、この主張は採用しない。

3  そうすると、被告は、昭和一八年一一月二四日頃から昭和三八年一一月二四日頃までの二〇年間所有の意思をもつて平穏かつ公然に本件(三)の土地を占有したこととなるから、取得時効により右土地の所有権を取得したものであり、右時効完成当時の右土地の所有者である原告名和は物権変動の当事者であるので、被告は、同原告に対し、その登記なくして右土地の時効取得を対抗することができるものというべきである。

従つて、原告名和は本件(三)の土地の所有権を有していないこととなるから、右土地につき所有権の確認を求める同原告の本訴請求は理由がない。

六  以上の次第で、原告らの本訴各請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 宍戸清七 三宅純一 山口博)

目録<省略>

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